人工内耳

1.はじめに

 コミュニケーションにおいて重要な役割を担う『聴覚』は、ほとんどの動物が備えている感覚であり、ひとたびその機能が失われると社会生活に著しい支障をきたす。『聴覚』を損なう原因はさまざまであり、遺伝的な素因を主とした先天性難聴、加齢により生じる老人性難聴、騒音や薬剤による難聴などが挙げられる。さらに、難聴が認知症発症の主要な危険因子として認識されるようになり、難聴の克服は世界的にも喫緊の課題といえる。近年、医工学の発展は目覚ましく、人工内耳をはじめ、中耳の伝音機構を代用する人工中耳や埋込型骨導補聴器など様々な人工機器が開発され、幅広く臨床で応用されている。ここでは現在世界で最も普及している人工臓器の一つである「人工内耳」について解説する。

2.聴こえのしくみ

 「音」とは空気の振動であり、これを「脳」が認知するために実に巧妙なしくみがある。耳の形態は動物によってさまざまであるが、耳介から外耳は空気の振動を効果的に集めるのに有利な構造をしている。外耳に到達した空気の振動は鼓膜に伝わり、ちょうど鼓を打つように大きく鼓膜を振動させる。鼓膜の奥には「中耳」と呼ばれる空間があり、鼓膜から「内耳」まで連続するように3つの耳小骨がつながる。耳小骨は非常にユニークな形態をしており、振動を効率よく増幅し「内耳」へ伝える働きを担う。脳が音を認知するためには「内耳」の機能が必須となる。内耳には「有毛細胞」と呼ばれる感覚の細胞が渦を巻くように整列しており、その形状から「蝸牛」と呼ばれている。人では約300列の有毛細胞があり、それぞれ感受する音の高さ(周波数)が決まっており、入ってきた音に応じて「有毛細胞」が反応し、振動を電気信号に変換することで神経活動が起こる。これらの電気信号が神経を介して脳に伝わり、はじめて「音」として認知することができる。

3.難聴の原因とその予防

 空気の振動を脳が認知するまでの経路、すなわち耳介から神経に至るまでのどの部分が欠けても難聴が生じることになる。「難聴」が生じた場合には、まずどの部分の働きに問題があるかを明らかにすることが重要である。外耳から中耳にかけて原因がある場合(伝音性難聴)には、薬物や手術によって改善できる可能性がある。しかしながら、内耳の「有毛細胞」は非常に繊細な細胞であり、ひとたび障害を受ける(感音性難聴)と現在の医療では修復することは困難である。そのためには難聴を起こさないようにする「予防」が重要となる。有毛細胞の障害を招く主な原因は、「騒音」と「酸素不足」である。耳は音を聞く機能を備えている一方で過剰な音には非常に敏感である。快適な生活を送るために音を楽しむのは重要であるが、耳を休めることや過剰な音に対しては耳栓などで保護する必要がある。内耳への「酸素」の供給は血液によって行われている。動脈硬化は血流低下を招く大きな要因であり、食生活の改善、適度な運動、十分な睡眠などの生活習慣の改善が内耳の保護にも繋がる。

4.補聴器と人工内耳

 ひとたび難聴が生じると社会生活にさまざまな支障が生じる。年齢や生活環境によって「きこえ」に対するニーズは異なるが、一般にささやき声が聞き取れない40dB(デシベル)以上の中等度難聴が生じた場合には「補聴器」が必要となる。快適な補聴器装用のためには、難聴の原因や程度に応じた調整と新しく入ってきた音に慣れるための時間が必要で、安定するまではできるだけ長く装用し、頻回に調整することが重要である。一方、70dBを越える高度難聴が生じた際には補聴器を装用しても十分な音の聴取が困難な場合がある。補聴器の効果は、内耳機能、すなわち有毛細胞の障害程度によって大きく異なり、高度の障害が生じた場合には、特に「言葉のききとり」が困難となる。「人工内耳」は内耳の機能を担う人工臓器の一つで、補聴器でも十分に音を聞き取ることができない高度から重度難聴者に適応となる。人工内耳は音の振動を電気信号に切り替える、まさに内耳の役割を代用する画期的な機器であり、音を増幅して内耳に伝える補聴器と大きく異なる。その開発者は世の中に大きく貢献したことからノーベル賞の有力候補とされている。

5.人工内耳のしくみ

 人工内耳は音の振動を読み取る「サウンドプロセッサ」と電気信号を発する「インプラント」からなる。サウンドプロセッサは補聴器と形状が似た耳掛け型や一体型のもがあり、ユーザーの好みや使いやすさによって選択できる。インプラントは皮下に埋め込む本体部分と内耳に挿入する電極からなり、サウンドプロセッサから送られた情報を電気信号として神経に伝える働きを担う。サウンドプロセッサに入力された音情報は、トランスミッターを介して磁石で連結したインプラントに送られる。それらの情報に対応した電極が反応し、電気信号を発生することで神経に情報が伝わる。コード化法と呼ばれる手法を用いることで、単に「音」だけではなく、「言葉」として脳が認知することができる。インプラントの植え込みには手術が必要だが、約2週間でサウンドプロセッサを装着し、リハビリテーションによって音の聞き取りが可能となる。人工内耳装用下の聞き取りには個人差があり、難聴の原因や聴覚を失ってから手術までの期間、内耳の形態などによって大きく異なる。本邦で人工内耳手術が始まって30年近く経過するが、手術件数は年間1000例を越え、今後も増加が見込まれる。テクノロジーの進歩も目覚ましく、小型化、薄型化、電極の改良、サウンドプロセッサの機能向上など益々の発展が期待される。

引用文献:
1.Lisa L Cunningham and Debara L Tucci. Hearing Loss in Adults. N Engl J Med. 377: 2465-2473, 2017.
2.Lieu JEC et al. Hearing Loss in Children: A Review. JAMA. 324: 2195-2205, 2020.

(愛媛大学医学部附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科 寺岡正人)

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