リレーエッセイ

2026.07.24

第19回:人工臓器に国境はない。事業にはある。 ――日米の事業化環境にみる社会実装への距離

photo

作者プロフィール
氏名:池野文昭
所属:スタンフォード大学スタンフォード・バイオデザイン・プログラム


 根本慎太郎先生から、ずしりと重いバトンを受け取りました。先生は、医療機器開発に関わるアカデミアに「表に出ろ」と呼びかけました。表に出た先には何が待っているのか。優れたシーズが患者さんに届くまでには、技術の壁だけでなく、薬事、臨床、償還、製造、人材、資金といった、事業化を左右する見えにくい条件が存在します。今回は、こうした条件が社会実装への距離をどう変えるのか、日米の事業化環境を通して考えてみます。

 人工臓器が支え、あるいは代替する身体機能は、国境を越えても変わりません。心臓の機能に日本仕様と米国仕様があるわけではなく、血液浄化の原理に時差もありません。患者さんの「一日でも早く」という願いにも国籍はないでしょう。しかし、技術が製品となり、日常の医療として使われるまでの道筋は、国によって大きく異なります。人工臓器にパスポートは不要でも、事業は何度も入国審査を受けます。

 一般化は禁物ですが、同じ医療機器技術の事業化を日米で検討すると、問われる内容そのものより、問いの順番に違いがあることに気づきます。日本では、「本当に機能するのか」「安全性はどう担保するのか」「安定して製造できるのか」が丁寧に確認されます。米国では、それらに加えて、「誰が使うのか」「誰が買い、誰が支払うのか」「既存の診療をどう変えるのか」「次の開発資金を得るために何を証明するのか」が、比較的早い段階から議論されます。

 これは、米国が進んでいて日本が遅れている、という単純な話ではありません。日本には、臨床現場の精緻な知見、技術を深く掘り下げる研究力、品質に妥協しないものづくりがあります。米国には、専門人材の厚み、リスクを引き受ける資本、意思決定の速さ、大きな市場を前提に逆算する事業設計があります。どちらにも強みがあり、どちらにも危うさがあります。米国では、ときに事業が技術を追い越します。日本では、ときに技術が事業を置き去りにします。前者は派手に転び、後者は静かに眠る。しかし、どちらも患者さんに届かないという点では同じです。

 社会実装への距離は、東京とサンフランシスコの飛行距離ではありません。必要な検証がどれだけ残り、関係者との連携がどこまでできているかによって決まります。規制当局が求める有効性・安全性の証拠、医療者が使いたいと思う臨床的価値、病院が導入できる経済性、保険者が支払う根拠、企業が製造・販売を続けられる見通しは、それぞれ同じではありません。医療機器では、使う人、買う人、支払う人が別であることも珍しくありません。一つの良いデータがあれば、すべての関係者が同時に「Yes」と言うとは限らないのです。

 薬事承認は、極めて重要な節目です。ただし、そこで社会実装が完了するわけではありません。承認後にも、保険償還は、当然ですが、現場で安全に使うための教育、安定供給、保守、市販後の情報収集、改良、次世代製品の開発が必要です。これらが機能して初めて、患者さんに「届き続ける」状態になります。

 事業化という言葉は、アカデミアでは少々生臭く響くかもしれません。しかし、ここでいう事業化とは、利益を目的化することではなく、価値ある技術を一度きりで終わらせず、社会の仕組みとして持続させることです。収益は医療の目的ではありませんが、供給と改良を止めないための血流ではあります。

 日米の差は、制度の違いだけでなく、事業設計を始める時期にも表れます。傾向として、日本では、まず技術を磨き上げ、その後に薬事、償還、企業連携、海外展開を考えるという順番になりがちです。一方、米国では、技術がまだ未完成の段階から、対象患者、臨床試験、支払者、販売経路、経営チーム、必要資金を並行して組み立てます。

 前者には技術を深く磨ける利点がある一方、後から事業の前提を変えにくくなる危険があります。後者には早い段階から事業化を見据えられる利点がある一方、魅力的な物語がエビデンスを先回りする危険があります。大切なのは、どちらかをそのまま真似ることではなく、技術と事業の設計を早い段階から往復させることです。

 日本発の技術だからといって、研究、治験、承認、販売のすべてを日本で行う必要はありません。逆に、米国法人を設立し、資料を英語にしただけで、事業が海を渡るわけでもありません。研究開発はどこで行うのか。最初の臨床試験はどこが適しているのか。どの市場で最初の承認を取得し、償還を目指すのか。製造、人材、資本をどこから得るのか。これらは「日本か米国か」という一つの選択ではなく、機能ごとに組み合わせるべき設計課題です。法人の国籍を決めるより先に、各国の役割を決めなければなりません。

 その設計には、アカデミア、医療者、企業、規制当局、保険者、そして資金提供者が、早い段階から対話することが必要です。資本もまた、単なる財布ではありません。投資判断は、技術の優劣を採点するだけの作業ではなく、残る不確実性を分解し、次に何を証明すべきか、そのためにどの人材と資金が必要かを考える作業です。すべてのリスクが消えてから投資するのであれば、リスクマネーの出番はありません。

 もっとも、資金だけで事業化が進むわけではありません。資本は重要な要素ですが、開発、薬事、償還、人材を含む全体の道筋がなければ、社会実装には至りません。  人工臓器に国境はありません。患者さんの切実さにも国籍はありません。しかし、その技術を患者さんまで運ぶ事業には、薬事、償還、人材、資金という国ごとの条件があります。重要なのは、それらを後から処理すべき障害ではなく、開発の初期から織り込むべき条件として捉えることです。社会実装への最短距離とは、地理的に近い道ではなく、必要なエビデンス、人材、制度、資金を、最も現実的な順序でつなぐ道なのだと思います。

 根本先生は、アカデミアに「表に出ろ」と呼びかけられました。表に出た後に必要なのは、技術をどこで、誰と、どのように患者さんへ届けるかを、早い段階から考えることです。日米の違いは越えられない壁ではありません。しかし、開発の後半で初めて向き合えば、大きな手戻りを招きます。人工臓器そのものと同時に、それを患者さんへ届け続ける仕組みまで設計する。そこまでが、社会実装なのだと思います。

 これで、次の走者へバトンを渡します。次の走者が、どのような問いを投げかけてくださるのか、楽しみにしています。

一般の皆様へ

会員ページ 会員ページ
Member’s login

書籍・DVD・テキスト 書籍・DVD・
テキスト
Books, DVD & TEXT

リレーエッセイ リレーエッセイ
Relay essay

プロモーション映像

一般社団法人
日本人工臓器学会

〒112-0012
東京都文京区大塚5-3-13 3F
一般社団法人 学会支援機構内

TEL:03-5981-6011
FAX:03-5981-6012

jsao@asas-mail.jp