国際委員会から:ロイル教授を偲んで


Prof. Dr.-Ing. Helmut“Paul”Reul
*3.12.1942   †3.11.2004

 2004年11月3日、ドイツアーヘン総合大学ヘルムホルツ研究所のロイル教授がご逝去され、葬儀が11月10日に彼の生まれ故郷Dürenの教会で行われました。当日は、気温が零度近く、小雨の中、教会近くの墓地での悲しいお別れになりました。彼の死は、国際的に人工臓器、人工心臓分野に大きな損失であります。謹んで、ご冥福をお祈りすると同時に、日本定常流ポンプ研究会として、追悼の意を表し、お別れの言葉を記します。

 ロイル教授は、1971年にアーヘン総合大学医学部に心臓弁及び人工弁の流体力学に関する学位論文を提出し、学位を授与されました。それ以来、ヘルムホルツ研究所にて循環器系デバイスの研究グループを指導してこられました。彼の最初の研究功績は、循環系シミュレーター、人工弁の加速耐久試験装置の開発で、世界的に使用されるようになり、機械弁の設計、弁近郊での流れの解析、高分子材料を用いたポリウレタン弁の開発にと発展しております。高分子人工弁は、Medos社より販売されている空気駆動人工心臓に一体成形された形で実用化されています。1980年代には、補助人工心臓や置換型人工心臓の研究開発に入り、HeimesポータブルTAH駆動装置を初めとして、現在欧州で臨床応用されているMedos空気駆動人工心臓“family”の開発に従事し、電気機械駆動補助人工心臓(VERSUS)やアーヘンTAH(ATAH)に成功しております。VERSUSは現在、Arrow Internationalより製品化が、ATAHはBad Oeynhausen病院との共同で実用化が進められています。1990年代には、連続流血液ポンプの研究開発を手がけ、独創的な遠心、軸流、ダイアゴナルポンプの設計開発は勿論、せん断応力が血球に与える機械的損傷について基礎研究と平行して、流れの可視化、数値流体解析(CFD)などの理論的、実験的手法を取り入れたデバイス形状最適化へ向けた総合的な応用研究でした。CFDは米国FDAがデバイス認可の際の評価項目として取り上げております。これらの研究は過去10年間、国際ロータリーポンプ学会、欧州人工臓器学会等において多くの賞を獲得しております。また、研究開発を実用化するため、 ImpellaやCirculiteなどのヴェンチャー企業の立ち上げ、研究成果の社会への還元の面でも多大な貢献が見られます。最近では、軸流血液ポンプと人工肺一体型の血管内留置人工心肺装置の開発にも貢献されました。

 学会活動も活発で、欧州の心臓弁学会の創始者、欧州、国際人工臓器学会の理事、2000年の国際ロータリーポンプ学会の会長、人工臓器に関する国際誌、欧州学会誌、心臓弁関連の学術誌の編集委員、顧問等を務めておられました。

 ロイル教授の研究開発に関する活動は、149の学術論文、生体工学関係の教科書、莫大な数の学会発表に記載されています。また、知的財産として、132のドイツ特許、26の米国特許など数多くの国際特許が成立しております。

 ロイル教授は、人にやる気を起こさせ、それまで解決不可能であった分野の扉を開けることに幾度も成功してきました。同僚と部下に対する愛情と確固たる信頼関係に裏打ちされた時に毒舌且つユニークな表現“Do it”,“Work hard”は彼の口癖でした。同僚そして部下に対する行き届いた配慮、公平且つシャープで合理的な判断は多くの状況下で、新しい概念の血液ポンプ、デバイス、そして試験方法、数値解析結果を生み出しております。彼は、リーダーとしての人望も厚く、現在までに28名の博士、数百名の修士学生を育てております。ロイル教授の下には、欧州はもとより世界中から彼を慕って来るポストドク、共同研究者、研修生等が後を絶たず、正に、国際的センターを築き上げました。

 ロイル教授の名は、Helmutですが、ニックネームはPaulです。これは、学生時代にクラスに3人もHelmutがいたため、教師が彼を他の生徒と区別するために彼をPaulと呼んだのが始まりだといわれています。Paulは、冗談が好きで、いつも明るい対応のできる社交的な態度は、彼の人間の大きさを表しているようでした。Paulは、ドイツ人らしく精密機械、特に、自動車に非常に興味を持ち、自慢のポルシェは誰もが羨ましく思っていたようです。アーヘンの隣町のDürenから毎日、自慢のポルシェを時速220Km以上の速度で通勤時間の運転を楽しんでいたと言われています。彼は、スポーツはテニス、スキーが好きで、特に、スキーに関しては、Green Bearという名のスキー同好会を30年余り前に結成し、地元の友人らと毎年オーストリアに行っていたそうです。また、毎週日曜日のお昼には、スキー同好会が地元のレストランに集まり、ビールを飲みながら、人生の諸問題について語り合い、楽しいひと時を持ったと言われています。11月10日の葬儀の後、 Paulの家族は、葬儀に出席した人全員をそのレストランに招待し、彼を思い偲びました。そこには、勿論、スキー同好会のシンボルであるGreen Bearの像があり、30年の歴史を物語るスキー同好会を通して結成された強い人の繋がり、信頼関係、友情が感じられました。

 11月10日の教会における葬儀の時、彼の長年の友人が、“Helmutはどこかに行ってしまったが、Paulは我々と一緒にいつまでもいる”、という別れの挨拶がありました。Paulは、本当に人に好かれ皆に愛されていたことが伺えます。教会での葬儀のあと、隣のチャペルで最後のお別れがありました。その時、チャペルには、Bob Dylanの曲“Knocking on Heaven's door”が流れていました。これは、彼の最後の願いだったそうです。いかにも明るい、そして周りの人に夢と希望を与え続ける彼の性格の表れのようでした。突然の悲報で、現実を受け入れることができないまま葬儀に参列しましたが、Paulの生前の温かい人柄に触れるたびに、残念でならない気持ちで一杯になりました。心からご冥福をお祈りするばかりです。

日本人工臓器学会国際委員会