特別寄稿 JSAO会員リレーエッセイ
 
野尻知里先生を謹んで

許 俊鋭
東京都健康長寿医療センターセンター長/補助人工心臓治療関連学会協議会前代表


 野尻先生は,亡くなる半年前に山崎健二教授とともに私の東京都健康長寿医療センター(TMGH)センター長就任激励会に出席して下さいました。ちょうど私が補助人工心臓治療関連学会協議会の代表として,destination therapy(DT)を臨床導入すべく,厚生労働省並びに医薬品医療機器総合機構(PMDA)に強力に働きかけていた時期でした。野尻先生は「植込み型左室補助人工心臓(LVAD)によるDTは日本では不可欠であり,高齢者施設であるTMGHにこそDTが必要」と檄を飛ばして頂きました(図1)。
 
図1 私の東京都健康長寿医療センター(TMGH)センター長就任祝賀会に出席してくださった
野尻知里先生(右)と山崎健二先生(左)。(平成27年5月21日)

 その2か月後,突然,野尻先生から「食道がんステージ4で入院したからすぐに会いに来てほしい」というメールがきました。びっくりして病院に駆けつけたところ,持ち前の陽気さでご自身の病状の説明をされ,寿命は限られているが,ご自分の生きざまを一冊の本にまとめて間もなく出版する予定なので,「自分の思いをこれまで一緒に研究してきた人工心臓関係者に伝えてほしい」とおっしゃいました。また,野尻先生は「DTの臨床導入を決して諦めないでほしい」と私を励まし,私は「頑張る」と約束しました。
 2001年に,日本での部品調達や臨床試験が困難などの理由により,テルモ社は米国にDuraHeartの開発拠点を移しましたが,その直前まで私が勤めていた埼玉医科大学でCadaverを用いたDuraHeartの人体適合試験の計画が進んでいました。そんなある夜,野尻先生から電話があり「ごめんね。アメリカに行くことになっちゃった」と謝られたときは本当にビックリしました。そのとき私は,野尻先生が人工心臓開発の本場,米国に殴り込みをかけるような印象を持ちましたが,野尻先生ならやれるかもしれないと思い直し,「頑張って下さい。」と激励しました。野尻先生は2003年に米国テルモハート社を設立し,獅子奮迅の活躍のスタートを切ったわけですが,2007年のDuraHeart商品化を目指した欧州臨床治験,本社との交渉,異国での人事の難しさなど多くの困難を克服し,2007年に念願のCEマークを取得されました。本社との約束を見事に果した野尻氏のCEOとしての手腕は目を見張るものがあります。
 日本では,2008年11月にDuraHeart臨床治験を開始し,最速の2年半で保険償還を実現しました。東京大学での臨床治験の1例目に,是非,野尻先生に手術に入って下さいとお願いしましたが,遠慮されました。さぞかしじれったい思いをしながら,頭上から我々の手術を見ておられたのだろうと今でも想像しています。
 「第3世代」といわれる磁気浮上非接触型連続流ポンプが有望であることをいち早く見抜き,世界に先駆けてDuraHeartを開発した野尻先生の慧眼は素晴らしく,今日,世界の市場で普及しているHeartWare HVADやHeartMate3の開発につながった功績は極めて大きいと考えます。世界中の多くの患者さんがDuraHeartにより救われたことに感謝をこめて,心から野尻先生のご冥福をお祈りします。